いまこそ患者指導を柱に
片山先生は、戦前から「患者指導こそが歯科医療の柱である」と強調され、またそのとおり実践されてきました。
本誌臨時増刊『歯周病学―ペリオのすべて』が発行されたのは1965年です。
この時点ですでに「メインテナンスとリコール」をものにし、1981年の「歯科医療とブラッシング」(本誌57巻6号)では人の治療を軸に、ブラッシングの位置づけに関して歴史的に考察されています。また数多くの論文に共通して述べられていることは、病因の除去であり、生体の賦活化であり、健康の増進であり、なによりもものの治療から人の治療へです。長もちしてこそ歯科医療という言葉も印象的です。是を証明してみせる数多くの実践例も驚異です。
今回は、これまでの先生の主張をふまえて、現時点における患者指導の意味、具体的な方法等について、お聞きしてみたいと思います。(編集部)
インタヴュー記事
編集部 先生は戦前から校医として、あるいは保健所で口腔の健康教育に、また医院では患者指導に取り組まれていたわけですが、まず社会の変化からみた現時点における患者指導の位置づけ、およびその意味合いは・・・
片山 歯科医療における位置づけということでいえば、患者指導こそが歯科医療の柱である、大黒柱であると。それは。これまで何度もいい続けてきたことで、社会がどのような変遷をたどろうとも変わりようのない事実です。ただし、患者指導というのは、もろに人間を相手にするわけですから、社会の進展、環境の変化に伴って当然、その意味するところは変わってくると思います。
今は盛んに高齢化時代の到来がいわれ、各界からその対応策が打ち出されておりますが、歯科は何をすべきなのか、高齢化社会と患者指導という点から考えてみたいと思います。
私が学校を卒業して開業した1933年ごろは、平均寿命が45歳でした。乳児の死亡率が高かったことと、結核ですね、青年の死が多かった。それで45歳です。では老人がいなかったのかというと、そんなことはありません。もちろんいまほど数は多くありませんが、ちゃんといらしたのです。ただ、その形が違うんです。いまとは明らかに違う。
どこが違うか。たとえば昔は隠居”ということがありました。家督を譲って、あとは楽隠居と。ところが今は、そのような民法もなくなって、核家族化とともに、老人をおいてきぼりにしている状態ですね。ですから、高齢化社会とは老人が1人で生活しなければならない社会ともいえるんです。1人で生きるには、働くことのできる体力と知能が必要ですよ。それらを社会が支えて保証してあげる。そのことによって老人のパワーを社会に還元してもらう、そこではじめて、高齢化社会の展望が拓けるんです。ボケ老人だらけになってしまったら、日本はどうなりますか。
では歯科はどう関わっていくのか。老人の体力と知能の存続に歯科は何をするのか。まず何よりも抜歯はいけない。抜歯になる上うな状態をつくってはいけない。できるだけ歯は保存する。予防、特に再発を予防する。これしかありません。ではそのためになにをするのか。病因の除去です。誰がするのか。患者自身ですよ。現代における患者指導の意味は、ここにあるんです。
編集部 いま歯科界はペリオ・ブームといいますか、口を開けば「プラーク・コントロール。また、その人たちの一様にもらす言葉が、「片山先生はなぜあんな昔から患者指導に取り組まれたのか?」。
片山 まず私は「プラーク・コントロール」とはいいません。「オーラル・フィジオセラピー」という言葉を使っています。そのへんの詳細は「歯科医療とブラッシング」(本誌57巻6号)でふれておきましたので、お読みください。
さて,なぜそんな昔から患者指導に悪戦苦闘してきたのか。そもそもは歯科医療に対する不満です。私が子供のころ、家の者はしばしば歯科医院のお世話になっていたのですが、どうにも不満なんですね。医療効果が長く続かない。
すぐ再発を繰り返し、最後に無歯顎にされて、そのフル・デンチャーも具合がよくない。すぐに合わなくなって、使えなくなってしまうということです。
そこで、私が大阪歯科医専に入ったときに最も興味があったのは、進んだ歯科医学であれば、それらの問題は解決されるのだろうと。ところが見事に空振り。昔の方法ではこの程度しかもたなかったが、この方法ではこれだけ長もちしているという症例による証明がないんですね。治療時点での改良・改善でしかない。それがのちのち患者に不満をもたせることを、私は私の家族から教えられていたわけです。ですから、自分が臨床に携わるようになったときは、この点の改善に全力を注ごうと。長もちしてこそ歯科医療であると考えたわけです。
長もちにはまず「再発予防」。そこで徹底的に日常生活の中での病因を除去する。それをはっきりと患者に知らせることから私の患者指導が出発したのです。
振り返って、歯科医療の進歩とはなんだったんでしょう。つまりは、病因はそのままで、補綴修復物自体の改善にすぎません。製作方法なり材料なりをより良いものにと。補綴修復物が上等であれば、病因がそのままであっても、80歳まで健全に保てるのか。その時の具合の良さだけが患者の望んでいる医療なのか。患者の真の望みは自分の歯が長もちすることで、繕いだけではないのだ。
それにしても現在の「繕いの保険」制度のもとで、長もちの歯科医療は可能なのか。もっと病因除去の指導を柱とした医療に変えるべきで、そろそろ歯科医療費は個人に戻し……そうなれば当然、患者も長もちのために生活を見直し、医療に参加し、医患協働の医療が開け、患者の要望を満たせることと思います。
編集部 患者指導とは、患者自身がみずからの健康を守るべく日常生活を変容させること。人を変えるのですから大仕事です。そこでよく考えられるのが指導システム。患者はこのベルトに乗せて、こう流してと………
片山 まずダメでしょうね。患者は1入ひとり、みな違います。しかもその1人が千変万化しますから、決して一様にはいかない。これは補綴修復物の作製についてもいえるように、一品手作りなんです。
ではどうするのか。初診時には、その患者さんに関するもろもろをしっかりとつかまえること。私の言葉でいえば「患者を丸ごとつかまえる」と。これが第一ですね。その患者さんの職業、家庭環境、健康に対する考え方等、千差万別ですから、1入ひとりにそれぞれの指導方法を考えなければならないわけです。知識レベルの高い人でも歯科に対する理解は浅いとか、その逆の例とか。ですから患者指導に、原則的にシステム化はありえない。臨機応変というか、人をみて法を説けというか、その時そのときが勝負です。
編集部 システムはないにしても,患者さんの層別といいますか,30代ではこう,40代ではこう……このタイプにはこれ,といった方法はありませんか。
片山 まず最初はそこから入りますね.しかし,あてにはできません.実際の指導の場面になったら,1入ひとり対応が違います.だから,そういうことはあまり考えない、それよりも重要なことは,この患者さんは自分の手に合う人か合わない人か,それを見分けることですね.これはとても手に余ると患ったら,最初から引き受けない………
編集部 どういう人ですか、その手に余るというのは………
片山 自分の考え方を全然変えない人。自分の考えどおりに、すべてを動かそうとする人。お金持ちが多いですね、そういう人には。とはいえ、すべてのお金持ちがそうかというと、そうでもない。ではどこで見分けるのか。これにもコツはありませんね。というより「正解」がないといったほうがいい。なぜかといえば、その判断基準は自分の「人をみる目」でしかないからです。その目はどう養うか。自分白身を見つめることです。己れを知ってはじめて、人も見えるようになるんですね。ですから「患者を丸ごとつかまえる」第一歩は、「己れを知る」ことと心得られればよろしいと患います。
編集部 対応は1人ひとり違うと。それでどこから入りますか。
片山 まずは第一に話し合うことですね。そこで反応をみて、あたりを探って対応を決めていくわけです。ところがいきなり話し合いに入るのは上策とはいえない。患者は用心してますよ。「治療のご希望は?」なんて切り出したら、「ああ、これは客の品定めをしているんだな」と思われます。ではどうするのか。どうしても話し合いにならざるをえない状況を設定できればいいわけです。
そこで考えついたのが顕微鏡の利用なんです。歯垢をとって顕微鏡をのぞく。それを患者にも、ついでにみてもらう。「こっちにきてのぞいてごらん」とはいわない。それでは用心されてしまうし、自分でみたいと患ってみてもらうのでなければ、余分のことと患われるだけで、なかには、「黒い大きな棒が動いてますなあ」と。それも1人や2人じゃない。いったい何を見ているのかというと、自分のまつ毛。(笑)それやこれやで、結局私が見ているものを患者も同時に見える方法でなければと考え、テレビに写せるように関発したわけです。
ただ、そのテレビにしても、「こっちにきて」とはいわない。患者が治療台に腰掛けた状態で、見ようと患えば見えるような位置に置いておく。そこで、患者の歯垢を観察する。画面では何かうじゃうじゃ動いている。それがなんなのか、患者にはわからないけど興味はある。「それは何ですか」となる。そこで「こっちにきても構いませんよ」と。
その「うじゃうじゃ」は自分の口のなかにあったものですからね。患者は興味をもって、「これは何ですか」と。それに答えてあげる。教え込むんじゃない。患者の興味に答えていくという姿勢です。説明を受けて、さらに関心が深くなる患者もいれば、顔色が悪くなる患者もいる。そういう場合は、「誰でもそうですよ」と。そういわないと、ノイローゼになっちゃう。
編集部 「テレビをみせても、ちっとも驚かない」患者は警戒している………
片山 反発心もある。なにが出ようと驚くもんかと。それと、ポイントはやはり、患者が興味をもったかどうか、そのように仕組めたかでしょうかね。
編集部 「これは細菌の塊で……」と、どう説明されるんですか。
片山 たとえば子供、あるいは感心しているだけの人、こういう人には細菌と疾患の関係を、はじめから話します。また私の患者さんのなかに細菌学出身の衛生学者がいるんですが、この場合は「こんなに細菌がいる」といっても通じません。「あたり前や」。そこで、「しかしこれは変でしょう」と。そうすると,「なんで」とくるから、「これは好気性で、こっちは嫌気性、特にこれは偏性嫌気性菌ですな」と。そこで身を乗り出してくる。ドッキリして、「これは変わるのか」と。「ご存知のように直ぐエコロジーが変わりますよ、ブラッシングさえすれば、今度いらしたときには変わっているはずです。おみせしましょうか」と。そうすると、やってくる。
編集部 顕微鏡を置いて、それをみせれば効果があるというものではない……
片山 そもそも顕微鏡を置いておく目的が違う。患者にみせるためだけに置いてるんじゃない。その患者の歯垢はいつごろからのものなのか。この人は日に何回ブラッシングして、その程度はどうなのか。こういったことは、あとで問診する内容ですが、それをあらかじめ手に入れておくために、歯垢をみておく。必要に迫られて、患者を丸ごとつかまえる1つの手段としてやってるんです。患者がみようとみまいと関係ない。みたいのなら、ついでにどうぞと。
編集部 口腔内写真をカラーで撮られたのも、「必要があって」ですか。
片山 その患者さんの歯肉の状態なんて忘れてしまいますよ。覚えているにしても、いい加減なもんです。これでは正確な対応がとれません。よくなったのか悪くなったのかわからないのですから。ところが、これまでの歯科医はカリエスだけ相手にしてきたものだから、「記録」というものの意味がわからない。口をみれば穴がある。その穴を頼りにすればなんとかなる。ところが歯肉は違う。日に日に変化します。それを1つひとつ覚えてられますか。
ところで現在、記録というとブローピンクとくる。しかし、これは危険です。それに不正確です。腫れたら深くなり、腫れが引けば浅くなるのは決まっている。そんなことでは記録にならん。「正確に側れば」というので、たとえば、セメント・エナメル境からポケット底までと決めて、いつもきちんと測れるか。それも無理。では切端頂からポケット底までならどうか。前歯はできても臼歯は非常にむずかしい。
編集部 先生はそれらの方法で実際に試されたのですか。
片山 もちろんです。ただ,「プロービングはあてにならない」というと、今の人はみな「そうだ」と。続いて「ブローピンクも昔と今とでは意味が違う。現在は、ただ深さを測るのではなく、その部位の付着、あるいは出血の有無を知ることに目的がある」と。では誤ってブスッといってしまったらどうなるか。それほど危険なことまでして測定しなければならないものなのか。カラー写真で十分ですよ。このほうが第三者の比較検討にも耐えられます。
編集部 初診時とリコール時とでは、患者指導といっても・・・。
片山 違いますね。たとえば食事指導などはリコール時、それも1〜2ヵ月くらい経ってから始めます。ブラッシングにはある程度乗ってきた。しかしもう一息。ここで「もっと時間をかけて」とはいわない。患者は十人が十人、手間を省きたいと思っている。そこで「甘いものをやめれば時間が省けますよ」と。口でくどくど話すよりも本を貸し出す。これは全部読まなくてもいい。むずかしい本の“粘着性が強くなる”くだりをみただけで「わかりました」と。砂糖っ気を減らせばそれだけの効果は出る。そこで「食事も少し変えたほうがいいですよ」と、またDr.プライスの訳本を貸し出す。
ポイントを押さえて、言葉少なく、ブラッシングの手間を省く方法として、食事に気をつけたほうが楽ですよと。そういう指導から入るんです。
それが、食事指導というと「あなたの食べているものはよくない」と。これでは反発されますよ。「ほっといてくれ……」とね。というのも文明生活、それに根ざした食生活を享受している人たちが大部分だし、それこそが人々の目標でもあったわけですから、それを頭から否定されたのでは受け入れられるわけがありません。少しずつ、いまの生活を見直してもらう。患者の気づきを待つのです。
編集部 患者さんを叱ることなどありますか。
片山 まずありませんね。叱ってもいいなというのは、20年くらいお付き合いした人ですね。それも、叱ってくれる人が亡くなってしまったという人。
それと最後に、患者指導をブラッシングの動機づけと考えている向きがあるようですが、決してそうではありません。詳しくはお話できませんでしたが、義歯の使い方も含めて、患者指導は長もちの歯科医療を達成する第一歩です。歯科衛生士にまかせないで、ご自分でおやりなさいと申しあげます。
歯界展望(臨時増刊)第67巻 第6号 1986年(昭和61年)5月